2023年3月18日(土)~2023年6月26日(月) ※会期中無休 (終了しました)
会場:深沢紅子野の花美術館
軽井沢にゆかりをもち、野に咲く花を描き続けた洋画家・深沢紅子(1903~1993)は、今年生誕120年を迎えます。これを機に、深沢紅子が描いた野の花の水彩と、花のように可憐な少女を描いた油彩を展示いたします。本展では、深沢紅子が特に好んで描いた野の花と、少女・女性の肖像を、新収蔵品と共に約40点展示します。どうぞごゆっくりご鑑賞下さい。
入館料:大人600円 小中学生300円/電話:0267-45-3662
※軽井沢高原文庫から徒歩5分の所にあります。
軽井沢にゆかりをもち、野に咲く花を描き続けた洋画家・深沢紅子(1903~1993)は、今年生誕120年を迎えます。これを機に、深沢紅子が描いた野の花の水彩と、花のように可憐な少女を描いた油彩を展示いたします。本展では、深沢紅子が特に好んで描いた野の花と、少女・女性の肖像を、新収蔵品と共に約40点展示します。どうぞごゆっくりご鑑賞下さい。
入館料:大人600円 小中学生300円/電話:0267-45-3662
※軽井沢高原文庫から徒歩5分の所にあります。
【プロフィール】
深沢紅子は1903(明治36)年、岩手県盛岡市に生まれました。16歳の時、上京し、女子美術学校日本画科に入学、その後、同校の西洋画科に転科、岡田三郎助に師事し、西洋画を学びました。1922(大正11)年、同郷の画家・深沢省三と結婚。1925(大正14)年には二科会に初入選、その後、一水会、女流画家協会などで活躍、1952年からは一水会委員として、1993(平成5)年に亡くなる直前まで創作活動を続けました。
【軽井沢との関わり】
1935(昭和10)年、詩人・津村信夫の詩集『愛する神の歌』の装画を依頼されたことをきっかけに、深沢紅子は初めて軽井沢を訪れました。堀辰雄、立原道造など、軽井沢ゆかりの文学者たちと親交を持った紅子は、信州・軽井沢の清冽な自然に魅せられ、戦後、堀辰雄の別荘を借り受け約20年間、夏の間を過ごすようになりました。軽井沢では、幼い頃より魅了されて以来、生涯にわたり愛した、高原に咲く野の花を描きました。
【深沢紅子が描く少女・女性】
紅子には、野の花のほか、好んで描いた題材として、彼女が「親しいひと」「優しいひと」と呼んだ、女性たちの肖像画があります。みずみずしい少女たち、親しかった友人たちを描いたその姿は、野の花のように可憐さ、凛々しさを感じさせつつ、内なる静かな強さを湛えています。女性が絵を描くことの困難な時代を生き抜いた紅子は、同時代を生きる女性たちを、女流画家らしい共感の目を持って描きました。
深沢紅子は1903(明治36)年、岩手県盛岡市に生まれました。16歳の時、上京し、女子美術学校日本画科に入学、その後、同校の西洋画科に転科、岡田三郎助に師事し、西洋画を学びました。1922(大正11)年、同郷の画家・深沢省三と結婚。1925(大正14)年には二科会に初入選、その後、一水会、女流画家協会などで活躍、1952年からは一水会委員として、1993(平成5)年に亡くなる直前まで創作活動を続けました。
【軽井沢との関わり】
1935(昭和10)年、詩人・津村信夫の詩集『愛する神の歌』の装画を依頼されたことをきっかけに、深沢紅子は初めて軽井沢を訪れました。堀辰雄、立原道造など、軽井沢ゆかりの文学者たちと親交を持った紅子は、信州・軽井沢の清冽な自然に魅せられ、戦後、堀辰雄の別荘を借り受け約20年間、夏の間を過ごすようになりました。軽井沢では、幼い頃より魅了されて以来、生涯にわたり愛した、高原に咲く野の花を描きました。
【深沢紅子が描く少女・女性】
紅子には、野の花のほか、好んで描いた題材として、彼女が「親しいひと」「優しいひと」と呼んだ、女性たちの肖像画があります。みずみずしい少女たち、親しかった友人たちを描いたその姿は、野の花のように可憐さ、凛々しさを感じさせつつ、内なる静かな強さを湛えています。女性が絵を描くことの困難な時代を生き抜いた紅子は、同時代を生きる女性たちを、女流画家らしい共感の目を持って描きました。